気仙地域

地名の由来

「気仙」の由来には下記のように所説存在する。

アイヌ語説
末端を意味する「ケセ kese」と、入り江を意味する「モイ moi」を合わせてケセモイという言葉から来ているという説。
これは気仙沼の語源説としても言われている。

日本語説
船着き場を意味する「かせ」から「かせ間」が語源であるという説。奈良時代には国名や郡名は2文字表記と定められていたので、
最後の「ま」を略して「気仙郡」と書いたものであるという説がある。

漢語説
海道の入り口を意味する「滊先(ケセン)」に当て字したという説。

気仙郡の変遷

古代・中世
気仙郡という群名は弘仁2年(811年)の「続日本書紀」に初めて見られる。
貞観元年(859年)に初代気仙郡司として安倍兵庫丞為雄が下向し、その後左大臣阿倍倉梯麻呂(内麻呂)の後裔とされる
金氏(キンウジ)が治めている。
その後、気仙郡の南半分と牡鹿郡の一部を分割して元良郡が設置された。
文治5年(1189年)に奥州藤原氏が滅亡すると、気仙郡は胆沢・磐井・牡鹿・江刺などの諸郡とともに奥州総奉行葛西清重の所領に
なったといわれる。これには別説もあり、源為朝の遺児とされる閉伊為頼が源頼朝から閉伊、気仙を給わり閉伊氏を称して
代々この地を治め、葛西清重が治めたのは南北朝時代になってからという説もある。

戦国・江戸時代
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の奥州仕置により、気仙郡を統治していた葛西氏が滅亡すると、気仙郡は木村吉清・清久父子の治下に
置かれた。しかし、木村吉清は天正19年(1591年)に起きた葛西大崎一揆で失脚し、伊達政宗が所領することとなる。
江戸時代には引き続き伊達氏を藩主とする仙台藩の所領となった。関ヶ原の戦い後は大條宗直・中島宗求ら重臣が配置された。
気仙郡の統治の中心となったのは代官所が置かれた今泉村であった。

明治時代
明治元年9月24日(1868年11月8日)
 仙台藩主伊達慶邦が薩長軍に降伏。全領土62万石を没収される。
明治元年12月7日(1869年1月19日)
 陸奥国の分割にともない、気仙郡は陸前国の所属となる。気仙郡は信濃松本藩取締地となり、花巻県を称する。
明治2年8月18日(1869年9月23日)
 花巻県の区域が江刺県の管轄となる。
明治4年11月2日(1871年12月13日)
 第1次府県統合により一関県の管轄となる。
明治4年12月13日(1872年1月22日)
 一関県が水沢県に改称。
明治8年(1875年)10月17日
 水沢県により下記の村の統合が行われる。
  今泉村・長部村が合併して気仙村となる。
  高田村・竹駒村が合併して氷上村となる。
  浜田村・勝木田村が合併して米崎村となる。
  猪川村・田茂山村が合併して盛村となる。
明治8年(1875年)11月22日
 水沢県が磐井県に改称。
明治9年(1876年)4月18日
 第2次府県統合により宮城県の管轄となる。北第三大区となる。
明治9年(1876年)5月25日
 岩手県に移管。乙第三大区となる。
明治11年(1878年)11月26日
 郡区町村編制法の岩手県での施行により行政区画としての気仙郡が発足。郡役所を盛村に設置。
明治22年(1889年)4月1日
 町村制の施行により以下の町村が発足。氷上村が高田町と竹駒村に、盛村が盛町と猪川村に分割された以外は、
 従前の村が単独で自治体を形成。
  盛町(現・大船渡市)、高田町(現・陸前高田市)、大船渡村、末崎村(現・大船渡市)、小友村、広田村、
  米崎村、気仙村、矢作村、竹駒村、横田村(現・陸前高田市)、世田米村、下有住村、上有住村(現・住田町)、
  日頃市村、立根村、猪川村、赤崎村、綾里村、越喜来村、吉浜村(現・大船渡市)、唐丹村(現・釜石市)
明治23年(1890年)5月17日
 郡制を施行。
大正12年(1923年)4月1日
 郡会が廃止。
大正15年(1926年)7月1日
 郡役所が廃止。
大正15年(1926年)11月1日
 気仙村が町制施行し、気仙町となる。
昭和7年(1932年)4月1日
 大船渡村が町制施行し、大船渡町となる。
昭和15年(1940年)4月29日
 世田米村が町制施行し、世田米町となる。
昭和27年(1952年)4月1日
 大船渡町・盛町・赤崎村・猪川村・立根村・日頃市村・末崎村が合併し、大船渡市が発足。
昭和27年(1952年)6月1日
 広田村が町制施行し、広田町となる。
昭和30年(1955年)1月1日
 高田町・気仙町・広田町・小友村・竹駒村・矢作村・横田村・米崎村が合併し、陸前高田市が発足。
昭和30年(1955年)4月1日
 世田米町・上有住村・下有住村が合併して住田町が発足。
 唐丹村が上閉伊郡・鵜住居村・甲子村・栗橋村と共に釜石市と合併し、新制の釜石市が発足。
昭和31年(1956年)9月30日
 越喜来村・吉浜村・綾里村が合併し、三陸村が発足。
昭和42年(1967年)4月1日
 三陸村が町制施行し、三陸町となる。
平成13年(2001年)11月15日
 三陸町を大船渡市に編入。
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